京城跡(読み)きようじようあと

日本歴史地名大系 「京城跡」の解説

京城跡
きようじようあと

[現在地名]紀宝町大里

大里おおざと北東小山に、東西三〇〇メートルに及ぶ長い城の遺構がある。大里城ともいう。「紀伊続風土記」によれば城跡は高さ二〇間、方二〇間で、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原戦に敗れた堀内氏善が肥後国に落去する前のしばらくの間、この城に住したともいう。永徳(一三八一―八四)の頃大野荘司が南朝方に味方し、鵜殿うどの城を攻撃したといわれ、大野荘司が築城したという説がある(奥熊野の城跡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む