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堀内氏善 ほりうち うじよし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀内氏善 ほりうち-うじよし

1549-1615 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)18年生まれ。堀内氏弘・氏久の父。紀伊(きい)新宮城(和歌山県)城主。豊臣秀吉につかえ,文禄(ぶんろく)元年の朝鮮出兵に水軍をひきいてしたがう。関ケ原の戦いでは西軍に属したため所領を没収された。のち肥後(熊本県)で2000石をあたえられる。慶長20年4月10日死去。67歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

堀内氏善

没年:元和1.4.10(1615.5.7)
生年:天文18(1549)
戦国時代の武将。父は氏虎。熊野新宮別当の末裔と伝え,次第に勢力を得て新宮を本拠とした。元亀1(1570)年,織田信長石山本願寺攻めに軍勢を派遣し,天正9(1581)年紀伊牟婁郡の地を安堵される。また同13年の紀州攻めでは,羽柴(豊臣)秀吉に帰服して同地を安堵された。文禄1(1592)年の朝鮮出兵の際には熊野水軍として戦功をあげ,伏見城普請で役高2万7000石とある。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では石田三成にくみして志摩の九鬼嘉隆と共に蜂起し戦後所領を没収されたが,神職故に死一等を減ぜられ,肥後の加藤清正に預けられた。熊本城内で死去,高野山に葬られた。

(石田晴男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の堀内氏善の言及

【水軍】より

熊野水軍(海賊)に出自をもつ九鬼嘉隆は,織田信長の北伊勢攻撃の際に船将として参加し,志摩一国を与えられて鳥羽に居城した。同じく熊野海賊出身の堀内氏善(紀伊新宮)や杉若氏宗(紀伊田辺)も大名化している。村上水軍(海賊)を構成する能島氏,来島(くるしま)氏,因島氏らは古くから瀬戸内海の交通を支配していたが,同じく瀬戸内の海賊衆である乃美氏,小泉氏,生口氏らは小早川氏の一族であったことから,村上海賊と毛利,小早川氏との間に盟約関係が結ばれるようになる。…

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