京塚昌子(読み)キョウヅカ マサコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「京塚昌子」の解説

京塚 昌子
キョウヅカ マサコ


職業
女優

本名
平塚 マサ子

生年月日
昭和5年 3月16日

出生地
東京市 本郷区(東京都 文京区)

学歴
佐野高女〔昭和21年〕卒

経歴
昭和21年疎開先の栃木・佐野高女を卒業して新派研究生に。30年「月夜鴉」で初めて主役を演じ、同年「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。34年映画に初出演、38年新派を退団、東宝演劇部入り。43年から主演したTBSのドラマ「肝っ玉かあさん」で人気者に。58年9月、公演先の松山市で一過性脳梗塞で倒れ療養していたが、59年平岩弓枝ドラマシリーズでテレビ復帰。2年間で20キロ減量、リハビリを続けながら、60年「女の座」で舞台復帰を果すが、61年再入院後は芸能界から退いた。出演作にテレビ「カミさんと私」「肝っ玉捕物帖」、映画「私は二歳」「喜劇・駅前女将」「仰げば尊し」など。

受賞
芸術祭奨励賞〔昭和30年〕

没年月日
平成6年 9月23日 (1994年)

伝記
清川虹子の愛と涙の交遊録―虹色変化の愉快な仲間たちテレビプロデューサー ブーねえがゆく 清川 虹子 著堀江 泰子 著(発行元 廣済堂出版汐文社 ’88’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「京塚昌子」の解説

京塚 昌子
キョウヅカ マサコ

昭和期の女優



生年
昭和5(1930)年3月16日

没年
平成6(1994)年9月23日

出生地
東京市本郷区(現・東京都文京区)

本名
平塚 マサ子

学歴〔年〕
佐野高女〔昭和21年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭奨励賞〔昭和30年〕

経歴
昭和21年疎開先の栃木・佐野高女を卒業して新派の研究生に。30年「月夜鴉」で初めて主役を演じ、同年「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。34年映画に初出演、38年新派を退団、東宝演劇部入り。43年から主演したTBSのドラマ「肝っ玉かあさん」で人気者に。58年9月、公演先の松山市で一過性脳梗塞で倒れ療養していたが、59年平岩弓枝ドラマシリーズでテレビ復帰。2年間で20キロ減量、リハビリを続けながら、60年「女の座」で舞台復帰を果すが、61年再入院後は芸能界から退いた。出演作にテレビ「カミさんと私」「肝っ玉捕物帖」、映画「私は二歳」「喜劇・駅前女将」「仰げば尊し」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「京塚昌子」の解説

京塚昌子 きょうづか-まさこ

1930-1994 昭和時代後期の女優。
昭和5年3月16日生まれ。昭和21年新派の研究生となり,23年から花柳章太郎の内弟子。30年「離れ猪」「太夫(こったい)さん」に主演,芸術祭奨励賞。38年東宝にうつる。43年から主演したテレビドラマ「肝っ玉かあさん」で人気者となった。平成6年9月23日死去。64歳。東京出身。佐野高女卒。本名は平塚マサ子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「京塚昌子」の解説

京塚 昌子 (きょうづか まさこ)

生年月日:1930年3月16日
昭和時代の女優
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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