京塚村
きようづかむら
[現在地名]鮭川村京塚
鮭川支流で南西流する内川(牛潜川)の左岸に位置する。対岸西方は庭月村、南は佐渡村。新田本村鑑は枝郷として上牛潜・下牛潜・下長沢前・田中・小反・荒沢・築楯(月立)・合海坂(山の神)をあげる。当村など庭月郷(鮭川中流域)の村々や大沢郷(鮭川上流、大沢川流域)諸村と新庄城下とを結ぶ道が通り、この道は猿鼻街道とよばれた。かつて当地から新庄へ向かう道は内川沿いに両牛潜を抜け、泉田・荒小屋(現新庄市)を経て城下に入ったが、のち南方の猿鼻山を経る道が利用されたという(「新庄古老覚書」など)。猿鼻街道に沿う湯舟沢には応永二年(一三九五)七月一五日銘の板碑がある。付近には一字一石の経塚跡とされる地があり、当地は古く経塚と記したが、新庄藩二代藩主戸沢正誠の命により京塚と改めたという(増訂最上郡史)。
元和八年(一六二二)の御前帳写では経塚村とあり、高一千三五石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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