朝日日本歴史人物事典 「京極高広」の解説
京極高広
生年:慶長4(1599)
江戸前期の大名。丹後国(京都府)宮津藩の藩主。父は高知。伏見(京都市)生まれ。高政,采女を称す。元和8(1622)年に宮津藩7万8200石を襲封。丹後守。虐政により領民の非難を受け,承応3(1654)年,子の高国に家督を譲った。しかし高国ものちに虐政を重ね,高広は高国を幕府へ提訴し,京極家は改易に処せられた。高広は流浪の身となり,京都の東山に閑居し,そこで死去した。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報