京隈小路(読み)きようのくまこうじ

日本歴史地名大系 「京隈小路」の解説

京隈小路
きようのくまこうじ

[現在地名]久留米京町きようまち

いま町の西方、筑後川左岸、久留米の西端の丘陵地にある。元和七年(一六二一)久留米に入った有馬氏は久留米城下の建設に着手、翌八年京隈村の村人を移して京隈侍小路の建設を行ったとされる。寛永九年(一六三二)に「経隈村士小路出来」というが(石原家記)、この段階では京隈小路の基本が完成したと考えられる。東の亀屋かめや町と接する地に番所が置かれた。西端には有馬家菩提寺の梅林ばいりん寺が配され、北側は久留米藩水軍方の居住地洗切あらいきりに接する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報