人丸塚跡(読み)ひとまるづかあと

日本歴史地名大系 「人丸塚跡」の解説

人丸塚跡
ひとまるづかあと

[現在地名]明石市明石公園

明石城が築かれる以前にあった柿本人麻呂を祀った塚。弘仁三年(八一二)空海が楊柳ようりゆう(のちの月照寺)を建て、仁和(八八五―八八九)頃に住僧覚証が人麻呂を祀り寺の鎮守にしたと伝える(明石市史)。元弘二年(一三三二)三月七日配流先の隠岐へ向かうため出京した後醍醐天皇は山陽道の大倉おおくら(大蔵谷)を通ったが、同地を少し過ぎたところに「人丸の塚」があったという(「増鏡」巻一六)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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