デジタル大辞泉 「仁和」の意味・読み・例文・類語 にんな〔ニンワ〕【仁和】 《「にんわ」の連声れんじょう》平安前期、光孝天皇・宇多天皇の時の年号。885年2月21日~889年4月27日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「仁和」の意味・読み・例文・類語 にんなニンワ【仁和】 ( 「にんわ」の連声 ) 平安時代、光孝、宇多両天皇の代の年号。元慶九年(八八五)二月二一日に改元、仁和五年(八八九)四月二七日に寛平と改められた。出典未詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「仁和」の解説 にんな【仁和】 日本の元号(年号)。平安時代の885年から889年まで、光孝(こうこう)天皇、宇多(うだ)天皇の代の元号。前元号は元慶(がんぎょう)。次元号は寛平(かんぴょう)。885年(元慶9)2月21日改元。光孝天皇の即位にともない行われた(代始改元)。藤原良房(よしふさ)の死後、清和(せいわ)天皇の代から朝廷の実権を握った藤原基経(もとつね)は、確執が生じていた陽成(ようぜい)天皇を884年(元慶8)に退位させ、当時55歳の光孝天皇を擁立した。光孝は即位後、その功に報いるため基経に大政を委任する詔まで発した。887年(仁和3)、病が重篤になった光孝は後継を指名しなかったが、基経の推挙により、親王籍から外されていた源定省(さだみ)が親王に復され、光孝の崩御にともない即位した(宇多天皇)。基経は関白に就任するが、これは人臣初のことだった。◇「にんわ」とも読む。 にんわ【仁和】 ⇒仁和(にんな) 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報