人種的デタント政策(読み)じんしゅてきデタントせいさく[みなみアフリカきょうわこく]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人種的デタント政策」の意味・わかりやすい解説

人種的デタント政策[南アフリカ共和国]
じんしゅてきデタントせいさく[みなみアフリカきょうわこく]

南アフリカ共和国の J.フォルスター政権が 1970年代に展開したブラック・アフリカ諸国に向けての緊張緩和政策。同政権は,歴代の国民党政権と同様,アパルトヘイトと呼ばれる人種差別体制を維持してきたが,70年代に入る頃から,外交面でブラック・アフリカ諸国との激しい緊張関係を積極的に緩和する姿勢を示しはじめた。ブラック・アフリカ諸国のうちでもコートジボアールをはじめとする穏健派のうちには,これにこたえて南アフリカとの対話外交に積極的な国もあり,1971年6月のアフリカ統一機構 OAU首脳会議でコートジボアールが議題として提案したこともあった (賛成6,反対 28,棄権5で否決) 。フォルスターは同年5月にはマラウイを公式訪問し,8月にはマラウイ側も H.K.バンダ大統領がアフリカ人国家元首として初めて南アフリカを訪問するなど,注目すべき対話外交の具体的展開もみられた。 74年4月のポルトガルにおけるクーデターによって M.カエタノ政権が倒れ,新政府が同年7月にアフリカ植民地を手放す方針を打出すと,危機意識を強めたフォルスター政権は,一層積極的に緊張緩和政策を展開するようになった。同年 10月にフォルスター自身がリベリアを秘密裏に訪問したことや,12月にホームランドへの独立付与,ナミビアへの自治権付与,アパルトヘイトの緩和,ローデシア問題の解決,近隣ブラック・アフリカ諸国との経済関係の拡大などを方針として打出したことは,その具体的現れであった。またローデシア (現ジンバブエ) を多数支配へ移行させる問題についても,I.スミス少数白人政権に対して説得工作を行なった。しかし,南アフリカの緊張緩和政策は,逆にブラック・アフリカ諸国の敵意をかきたてる面もあり,全体として南アフリカが期待するほどの成果はあがらず,77年以降は周辺諸国に対する不安定化政策のほうが目立つようになった。

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