人間の権利(読み)にんげんのけんり(その他表記)Rights of Man

日本大百科全書(ニッポニカ) 「人間の権利」の意味・わかりやすい解説

人間の権利
にんげんのけんり
Rights of Man

トマス・ペイン著。第一部(1791)と第二部(1792)からなる。ペインは、1774年にアメリカに渡り、76年に『コモン・センス』(『常識論』)を出版して独立運動に大きな影響を与えた。87年にイギリスに帰国したが、フランス革命勃発(ぼっぱつ)の報を聞くやフランスに渡り、革命下のフランスの状況をつぶさに観察し、90年4月にロンドンに戻る。同年11月にバークが『フランス革命についての考察』を出版し、フランス革命を激しく攻撃するや、ただちに反論の筆をとったのが本書成立のきっかけである。第一部では、革命は君主個人に対してではなく政治原理や政治構造それ自体への反抗であること、したがって革命以外の方法はありえなかった点を強調し、バークの革命に対する皮相な見方を批判している。第二部とくに後半部分では、税制改革による社会・労働問題の解決案を提示し、軍備制限や累進課税を通じて養老年金制や義務教育制の整備を説いているが、これは今日の社会権的福祉国家観の先駆をなすものとして注目される。

田中 浩]

『西川正身訳『人間の権利』(1971・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の人間の権利の言及

【コモン・センス】より

…そのもやもやをペインは,難解な法律論ではなく,通常の人々にわかる平明な言葉でみごとに断ち切ったというべきであろう。《コモン・センス》は,彼の《人間の権利》(1791‐92)とともにフランス革命にも大きな影響を与え,さらに植民地解放の書として,ラテン・アメリカ諸国の独立に寄与した。【斎藤 眞】。…

【ペイン】より

…その後植民地軍に従軍,《危機》と題する小冊子(全16編)を次々に刊行して,兵士の士気の鼓舞に努める。87年ヨーロッパに渡り,E.バークのフランス革命批判にこたえてイギリスで《人間の権利》(1791‐92)を発表,共和制の擁護に努めたが反逆罪に問われフランスへ逃れた。フランスの市民権を得て国民公会議員に選ばれたが,ジロンド党の勢力失墜とともに市民権を奪われ,投獄された。…

【民主主義】より

…実際,同時代のイギリスでは,共和主義は民主主義とほぼ同義の,支配層のもっとも嫌う言葉であった。《コモン・センス》(1776)を書いてアメリカ人に独立の意義を教えたイギリスの急進主義者T.ペインが,《人間の権利》(1791‐92)の中で,アメリカの代表制こそ,アテナイの民主主義を大規模社会で,しかもより完全に実現させた,まさに共和主義の真髄である,と手放しに賞賛できたのもこのためである。
[ジャクソニアン・デモクラシーとトックビル]
 19世紀に入りアメリカでは,〈共和主義の宮廷〉という言葉に象徴される東部共和主義文化の貴族主義化があり,これに対して,独立農民の立場から,アメリカの理念の再純化としてrepublican democracyまたはdemocracyが新たに唱えられ,1828年大統領選挙におけるA.ジャクソンの圧勝とともに,〈ジャクソニアン・デモクラシーJacksonian Democracy〉の時代を迎える。…

【ロンドン通信協会】より

…18世紀末ロンドンに結成された急進主義民衆運動団体。18世紀のイギリスではようやく1760年代ころから議会改革の気運が高まりつつあったが,フランス革命の勃発に刺激され,また,トマス・ペイン著《人間の権利》(1791‐92)に啓発されて,91年以降自然権としての普通選挙権の獲得を目ざす下層商工業者・労働者の結社が各地に樹立された。その最も代表的なものがロンドン通信協会で,同協会は92年1月靴職人トマス・ハーディら10名たらずの有志によって発足したが,たちまち組織を拡大し,国内諸都市の改革団体やフランス国民公会とも連携を保ちつつ,民衆の自己啓発・情報交換,さらには議会外改革運動の全国規模への組織化を実践した。…

※「人間の権利」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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