改訂新版 世界大百科事典 「岩波書店」の意味・わかりやすい解説
岩波書店[株] (いわなみしょてん)
岩波茂雄が創業した出版社。1913年東京神田神保町に古本屋を開業,そのかたわら翌14年に夏目漱石《こゝろ》を出版し,出版業の基礎を築いた。漱石と岩波書店の機縁はここに始まる。漱石存命中に《硝子戸の中》《道草》を,没後17年より漱石全集を刊行する。一方,古本屋開業のころ《哲学雑誌》の発行を引き受けた。その後,西田幾多郎,阿部次郎,安倍能成らの協力によって15年《哲学叢書》を刊行し,大正年間には40点を超えた。この成果に立って21年学術雑誌《思想》を刊行する。このような出版活動は,大正期における教養主義的風潮を背景としていたが,岩波は新しい知識階級の形成を志向することになる。その具体化が,〈知識と美とを特権階級の独占より奪い返すこと〉を切実に要求する進取的なる民衆にこたえて,27年刊行を開始した〈岩波文庫〉である。これはドイツのレクラム文庫に範をとり,100ページ当り星一つで20銭という安さであった。こうした古今東西の古典の普及という理想主義的活動と同時に,より鋭く現実的要求にこたえるため,野呂栄太郎らを中心に編集された《日本資本主義発達史講座》を32年より刊行する。38年創刊の〈岩波新書〉も同じ志向に沿うものであった。このような出版活動は〈岩波文化〉と総称され,〈講談社文化〉と対比された。しかし昭和10年代は言論統制がきびしくなり,山田盛太郎,矢内原忠雄,津田左右吉らの著書は発禁,押収処分を受け,出版社側も苦難の道を歩むこととなる。第2次世界大戦後,46年に発刊された月刊誌《世界》は,吉野源三郎を初代編集長とし,憲法擁護,民主主義,平和の立場を貫き,論壇でも指導的地位に立っている。また《現代叢書》を刊行し,児童文学の分野にも進出,戦前からの科学書とあわせ数多くのロングセラーを生み出した。46年茂雄が没し,49年には経営形態が株式会社組織となり,現在は社長も岩波家の世襲を脱した。
執筆者:京谷 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報