仁右衛門町(読み)によえもんまち

日本歴史地名大系 「仁右衛門町」の解説

仁右衛門町
によえもんまち

[現在地名]富山市白銀町しろがねちよう常盤町ときわちよう豊川町とよかわちよう中央通りちゆうおうどおり二丁目

東四十物ひがしあいもん町の中ほどから北に延びる両側町で、北端たて町に直交する。町並西側には古寺ふるでら町・殿との町の町並が直交し、東側から延びる小路は川端かわばた町に至る。本町のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図に町名はみえないが、万治年間富山旧市街図には当町にあたる通りに川原かわら町と記す。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理によると、古くは川筋にあたり、町名は仁右衛門という船頭が居住していたことに由来するという。安永八年(一七七九)の本家数四二・貸家数五八で、三丁目まであった。前掲旧事調理では竈数一〇八、男一七五・女一八〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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