日本歴史地名大系 「仁田原村」の解説 仁田原村にたはらむら 大分県:南海部郡直川村仁田原村[現在地名]直川村仁田原現直川村の南西部、久留須(くるす)川上流域に位置。天正一八年(一五九〇)七月二〇日、豊後佐伯衆の「に田原」源十郎が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。慶長一〇年(一六〇五)の検地目録帳(佐伯藩政史料)に「赤木・仁田原村」とみえ、高一千二九八石余、免三ツ五分。同一六年の検地目録(同史料)では仁田原村の高五八八石余。正保郷帳では田高四一三石余・畑高一五九石余、赤木(あかぎ)郷に属した。享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)によれば、当村は柚野原(ゆのはる)・岸野上(きしのうえ)の二ヵ村からなり、柚野原村内に大津留(おおつる)・上野地(うえのじ)・黒沢(くろぞう)・細河内(ほそがわち)、岸野上村内に寺野下(てらのした)・久保河内(くぼがわち)・用来(ようらい)・殿畑(とのはた)・雨津留(あまつる)・下治郎(げじろう)・椛原(かばがはる)・杭野内(くえのうち)・内水(うちみず)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by