仁科庄(読み)にしなのしよう

日本歴史地名大系 「仁科庄」の解説

仁科庄
にしなのしよう

仁科庄の文献上の初見は、嘉元四年(一三〇六)の後宇多上皇院宣案(竹内文平氏蔵)に「室町院御領、(中略)信乃仁科庄親王分資遠」と記されているものである。次に寛正五年(一四六四)に編集された「京城万寿禅寺記」に、「此外有荘産・田園、被他剽略者」と記し、同寺の荘園などで、他の者に奪い取られた所をあげている中に「信州仁科庄」とみえる。仁科庄そのものの動静を知る史料はこの二つだけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報