日本歴史地名大系 「大町市」の解説 大町市おおまちし 面積:四六四・一六平方キロ長野県の北西部、松本盆地の北端に位置し、市域の西部は、面積の九〇パーセントに相当する部分が急峻な中部山岳地帯(北アルプス)で占められている。農地・住居地は市域東部に偏在し、中部山岳より流下する高瀬(たかせ)川の沿岸に展開する。東及び北の北安曇(きたあずみ)郡と接する部分は大峰(おおみね)山地・佐野(さの)坂等の丘陵性山地となっている。大町の名は天文二二年(一五五三)の大町年寄一〇人あての某免許状案(栗林文書)にみえる「大まちの関」「大町年寄十人」を初見とするが、その起源は、鎌倉時代、現大町市大字大町の地に仁科氏が居館を設定し町造りをしたときにさかのぼる。〔原始〕大町市の北端青木(あおき)湖の北岸にあるくまんば遺跡から硬砂岩・チャート製の旧石器時代末期の石器が出土している。縄文時代の遺跡は市の東部の霊松寺(れいしようじ)山・羽黒(はぐろ)山、北部の中林(なかばやし)・中花見(なかけみ)・加蔵(かくら)・こぼれ沢・くまんば、西部の常盤桐山(ときわきりやま)等にその早期の遺跡があり、北部上原(うわつぱら)に前期、西部まねきに中期等をはじめ、山麓の段丘・扇状地に縄文時代の遺跡が多い。弥生時代の遺跡は東部段丘地帯に多く分布する。更に古墳時代の遺跡も東部に分布し、三日町(みつかまち)のじょろが塚をはじめ、小型の円墳が多い。〔古代〕新潟県糸魚川(いといがわ)方面から姫(ひめ)川・農具(のうぐ)川・高瀬(たかせ)川の東岸と西岸の線を経て松本に通ずる線上に古代の交通路があったと推定され、その大町市を通過する路線上に沓掛(くつかけ)(現大町市大字常盤・大字社)の地名が残っている。 大町市おおまちし 2006年1月1日:大町市が北安曇郡美麻村・八坂村を編入⇒【美麻村】長野県:北安曇郡⇒【八坂村】長野県:北安曇郡⇒【大町市】長野県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大町市」の意味・わかりやすい解説 大町〔市〕おおまち 長野県北西部,松本盆地の北部から飛騨山脈の東斜面にかけて広がる市。1954年大町,平村,常盤村,社村が合体して市制。2006年八坂村,美麻村を編入。中心市街地の大町は高瀬川の扇状地にあって,開田は遅れたが,鎌倉時代に仁科氏の居館を中心に集落が形成された。近世以降,千国街道の宿場町,市場町として発達し,五日市,十日市などの地名が残る。第2次世界大戦前から豊富な電力を利用してアルミニウム,紡績の大工場が立地しており,工業都市の性格も強い。早くから針ノ木峠で後立山連峰を越える通路にあたったが,立山黒部アルペンルートの開通により観光客が激増した。観光資源はきわめて豊富で,北部に鹿島槍ヶ岳スキー場をはじめスキー場が多く,仁科三湖,大町温泉郷,葛温泉,高瀬ダムなどがある。仁科神明宮 (本殿などは国宝) や,国の重要文化財に指定されている盛蓮寺観音堂,若一王子神社本殿など古社寺が多い。高瀬渓谷の噴湯丘と球状石灰石は国の天然記念物。市域の一部は中部山岳国立公園に属する。東部の高瀬川に沿って JR大糸線,国道147号線,148号線が走る。面積 565.15km2。人口 2万6029(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by