今中大学(読み)いまなか・だいがく

朝日日本歴史人物事典 「今中大学」の解説

今中大学

没年:安政4.2.16(1857.3.11)
生年天明4(1784)
安芸国(広島県)広島藩年寄(執政)。文政5(1822)年,年寄に抜擢され米銀掛として財政のことに当たる。当時凶作が続き,一方江戸幕府の普請手伝いに追われ,また藩主浅野家の饒津神社造営などの出費がかさみ,藩財政は窮乏を極めた。大学は勘定方を督励して,藩札の増発による積極的な国産開発と藩専売制の強化により,大坂市場における正貨の獲得に努めた。弘化3(1846)年年寄上座に進み,いよいよ専権を振るうが,藩札の濫発による,物価の異常な高騰を招き,これを藩札の平価切り下げで糊塗しようとしたため,さすがに厳しい批判を受け,安政1(1854)年退任した。<参考文献>『今中大学日記』(広島大学図書館蔵)

(後藤陽一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今中大学」の解説

今中大学 いまなか-だいがく

1784-1857 江戸時代後期の武士
天明4年生まれ。安芸(あき)広島藩士。文政5年年寄(執政)となる。藩主浅野斉賢(なりかた)の死後,14歳の嫡子斉粛(なりたか)の擁立に成功し藩政掌握。窮乏した藩財政をたてなおすことができず,嘉永(かえい)7年辞職した。安政4年2月16日死去。74歳。名は相親通称は別に他人太郎(よそたろう),権六,丹後。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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