朝日日本歴史人物事典 「今中大学」の解説
今中大学
生年:天明4(1784)
安芸国(広島県)広島藩年寄(執政)。文政5(1822)年,年寄に抜擢され米銀掛として財政のことに当たる。当時凶作が続き,一方江戸幕府の普請手伝いに追われ,また藩主浅野家の饒津神社造営などの出費がかさみ,藩財政は窮乏を極めた。大学は勘定方を督励して,藩札の増発による積極的な国産開発と藩専売制の強化により,大坂市場における正貨の獲得に努めた。弘化3(1846)年年寄上座に進み,いよいよ専権を振るうが,藩札の濫発による,物価の異常な高騰を招き,これを藩札の平価切り下げで糊塗しようとしたため,さすがに厳しい批判を受け,安政1(1854)年退任した。<参考文献>『今中大学日記』(広島大学図書館蔵)
(後藤陽一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報