コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

今中大学 いまなか だいがく

2件 の用語解説(今中大学の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

今中大学 いまなか-だいがく

1784-1857 江戸時代後期の武士。
天明4年生まれ。安芸(あき)広島藩士。文政5年年寄(執政)となる。藩主浅野斉賢(なりかた)の死後,14歳の嫡子斉粛(なりたか)の擁立に成功し藩政を掌握。窮乏した藩財政をたてなおすことができず,嘉永(かえい)7年辞職した。安政4年2月16日死去。74歳。名は相親。通称は別に他人太郎(よそたろう),権六,丹後。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

今中大学

没年:安政4.2.16(1857.3.11)
生年:天明4(1784)
安芸国(広島県)広島藩年寄(執政)。文政5(1822)年,年寄に抜擢され米銀掛として財政のことに当たる。当時凶作が続き,一方江戸幕府の普請手伝いに追われ,また藩主浅野家の饒津神社造営などの出費がかさみ,藩財政は窮乏を極めた。大学は勘定方を督励して,藩札の増発による積極的な国産開発と藩専売制の強化により,大坂市場における正貨の獲得に努めた。弘化3(1846)年年寄上座に進み,いよいよ専権を振るうが,藩札の濫発による,物価の異常な高騰を招き,これを藩札の平価切り下げで糊塗しようとしたため,さすがに厳しい批判を受け,安政1(1854)年退任した。<参考文献>『今中大学日記』(広島大学図書館蔵)

(後藤陽一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

今中大学の関連キーワード安芸太田川広島県県立広島大学東広島浅野長照小田貫一沢原為綱武田信時門司東里