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うた沢 うたざわ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

うた沢
うたざわ

日本音楽の種目名。三味線声曲の一つで,寅派芝派の2派があり,前者を「歌沢」,後者を「哥沢」と書く。江戸時代後半に流行した端唄を趣味とする人々の間から,旗本笹本忠良の長男笹本彦太郎が安政4 (1857) 年に歌沢大和大掾という受領名を許されて創始したもの。彦太郎はのちに歌沢笹丸と名のり,後継者の代に畳屋平田虎右衛門が寅派を,柴田金吉が芝派を興した。うた沢は小編歌曲だが,端唄,小唄に比べてテンポが遅く,小唄の倍以上の時間がかかる。三味線伴奏の室内歌曲で,江戸末期の通人趣味をよく表わしている。端唄,小唄と共通の詞章が多い。代表曲は『淀の川瀬』『露は尾花』『白酒』など。

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百科事典マイペディアの解説

うた沢【うたざわ】

日本音楽の種目名。江戸末期に端唄から派生した三味線伴奏の短編歌曲。創始者は旗本隠居の笹本彦太郎(歌沢笹丸)で,彼は柴田金吉(哥沢芝金),畳屋の虎右衛門(歌沢寅右衛門)などとともに端唄愛好のグループ〈歌沢連〉を興し,その発展したもの。
→関連項目小唄俗曲

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

うた沢
うたざわ

邦楽の種目名。寅(とら)派(歌沢寅右衛門)と芝派(哥沢芝金(うたざわしばきん))の2派があり、両派を総称するときには「うた沢」という文字をあてる。弘化(こうか)・嘉永(かえい)(1844~54)のころ、江戸の巷間(こうかん)で流行する端唄(はうた)に品と重みをつけて、きめ細やかにていねいに歌うという主旨に基づいて、「歌沢」という一流が生まれた。歌沢とは、さまざまの唄が水の沢に流れ込んで集まっている意味で名づけられたといわれる。
 江戸・本所南割下水に住む旗本笹本(ささもと)忠良の長男彦太郎が養子に家督を譲って笹丸(1797―1857)と号し隠居となり、笹丸を中心に当時端唄上手の同好の連中、畳職の虎右衛門(とらえもん)(後の歌沢寅右衛門)、御家人の柴田金吉(後の哥沢芝金)、火消の辻音、蛇の茂兵衛、作者の森語一郎(後の歌沢能六斎(のうろくさい))といった多士済々が結集して、歌沢節創立に尽力した。笹丸は1857年(安政4)6月、当時遊芸に関する許可などを扱っていた江戸・浅草聖天町の嵯峨(さが)御所出張所に歌沢節樹立の認可願を提出していれられ、大和大掾(やまとのだいじょう)を名のった。他方、これに先だつ1853年(嘉永6)12月には「歌沢約定書」が作成されていて、歌沢家元の名が記されることから、笹丸の受領(ずりょう)の年より4年前に組織の基盤がほぼ固められていたことが察知できる。笹丸允可(いんか)の翌月、7月17日には虎右衛門が寅右衛門と改名し、能登(のと)の名を受領し(その後相模(さがみ)と変えた)、笹丸後援の下に盛大な名披露を行った。その2か月後に笹丸が病没したので、柴田金吉は別派をたてることに着手し、4年後の1861年(文久1)には嵯峨御所から土佐太夫(とさだゆう)を受領し、哥沢芝金を名のって芝派家元となり、ここにうた沢は2派に分立して互いに覇を競い合った。
 うた沢は、端唄の平易さに飽き足らず、さらに洗練された滋味を加え、とりわけ一中節の語りの要素にのっとった演奏法によって、三味線音楽の唄もののなかで技巧的なさびのある歌い方に一段とくふうを凝らした。両派の相違は、寅派が節こまやかに間がゆったりとしているのに対して、芝派はさらりとした唄の運びにはでさがあるといわれている。[林喜代弘]
『英十三著『うた澤茶話』(1926・町田書店) ▽金子千章著「うた澤節小史」(『三味線とその音楽』所収・1978・音楽之友社)』

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