今井 卯木
イマイ ウボク
明治・大正期の古川柳研究家
- 生年
- 明治6年11月13日(1873年)
- 没年
- 昭和3(1928)年2月3日
- 出生地
- 群馬県北甘楽郡一ノ宮町
- 本名
- 今井 幸吉
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校政治科(現・早稲田大学)卒
- 経歴
- 明治21年第一銀行に入り、のち東京専門学校で学ぶ。30年横浜の生糸貿易商社・横浜原合名会社に務め、33年から4年間フランスのリヨン支店に勤務して、37年帰国。趣味の江戸川柳研究熱を捨て難く、38年退社して大阪に移り本業の傍ら、作句活動と古川柳の研究に没頭した。42年関西川柳社の創立同人となる。また阪井久良伎に勧められて古川柳を分類・解釈してまとめた労作は、45年「川柳江戸砂子」として出版、没後再版されるなど貴重な資料となった。ほかに句集「卯木句集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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今井卯木 いまい-うぼく
1873-1928 明治-大正時代の川柳作家。
明治6年11月13日生まれ。東京専門学校(現早大)でまなび,横浜の生糸貿易商社につとめる。退社後大阪にうつり,明治42年関西川柳社の創立同人となる。阪井久良伎(くらき)にすすめられ,古川柳を分類,解釈した「川柳江戸砂子」をまとめた。昭和3年2月3日死去。56歳。群馬県出身。名は幸吉。句集に「卯木句集」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の今井卯木の言及
【川柳】より
…2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。剣花坊門の[村田周魚]は《川柳きやり》(1920),[川上三太郎]は《川柳研究》(1929)を発刊し,久良伎門の[前田雀郎]は24年丹若会を結成,今井卯木が1909年関西川柳社を創立,西田当百,岸本水府の《番傘》(1913),麻生路郎(じろう)の《川柳雑誌》(1924),椙元(すぎもと)紋太の《ふあうすと》(1929)が生まれるに至った。吟社の数は現在では全国800余社を数えるに至っている。…
※「今井卯木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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