日本歴史地名大系 「今仁村」の解説 今仁村いまにむら 大分県:宇佐市旧四日市町地区今仁村[現在地名]宇佐市今仁佐野(さの)村の南西、五十石(ごじつこく)川の源流地帯にあり、村域は標高一〇〇メートル前後の山地・丘陵と五十石川沿いの低地によって構成される。北は木部(きべ)村、東は赤尾(あかお)村。地内には旧石器が採集された今仁古池(いまにふるいけ)遺跡、約七〇基を確認する草場谷(くさばだに)横穴群などがある。中世には高家(たけい)郷佐野村の内と思われ、同村今仁名の遺称地。また地内大西(おおにし)は同村大西名の遺称地とされる。貞和二年(一三四六)「宇佐郡今仁名」について争っていた藤原千与乙丸と藤原能憲との間で和与が成立、同名のうち「口のしと弐段」を能憲が、ほかは千与乙丸が知行することとなった(同年八月一日「藤原能憲和与状」・同日「藤原千与乙丸和与状」今仁恕子文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by