20世紀日本人名事典 「今城信貫」の解説 今城 信貫イマキ ノブツラ 大正・昭和期の医学放射線技術者 新潟医科大学助教授。 生年明治24(1891)年6月5日 没年昭和22(1947)年6月4日 出生地長野県松本市 経歴明治45年東京順天堂病院の藤浪剛一にX線技術を習い、同年新潟医学専門学校レントゲン科技術員として勤務。大正11年同医専は大学に昇格、大学レントゲン科創設のため、14年東京帝大から田宮知耻夫助教授が赴任、その指示により科内の技術刷新を図り、設備の充実と技術者教成に尽力して30有余年、新潟の医学放射線の操作技術は各都道府県関係者の注目するところとなった。しかし永年放射線を沿びたためがんに冒され、昭和22年死去。死後助教授に昇進。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今城信貫」の解説 今城信貫 いまき-のぶつら 1891-1947 大正-昭和時代の放射線技術者。明治24年6月5日生まれ。東京順天堂病院で藤浪剛一にまなび,明治45年新潟医専レントゲン室技術員。大正11年医科大学に昇格後,田宮知耻夫(ちちお)の指導のもと医学放射線技術の向上につくした。昭和22年6月4日死去。57歳。長野県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例