20世紀日本人名事典 「田宮知耻夫」の解説 田宮 知耻夫タミヤ チチオ 大正・昭和期の放射線医学者 生年明治29(1896)年2月2日 没年昭和41(1966)年2月14日 出生地兵庫県神戸市 学歴〔年〕東京帝国大学医学部〔大正9年〕卒 学位〔年〕医学博士〔昭和3年〕 経歴大正14年新潟医科大学レントゲン科創設のため助教授として赴任する。同年ドイツへ留学。昭和3年帰国し、教授となる。15年日本医学放射線学会の設立に尽力する。以後横浜医科大学教授、小田原市立病院長などを歴任。著書に「内科レントゲン診断学」(上 下)「内科的疾患の診断に必要なるレントゲン図説」(共著)などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田宮知耻夫」の解説 田宮知耻夫 たみや-ちちお 1896-1966 大正-昭和時代の放射線医学者。明治29年2月2日生まれ。ドイツ・アメリカ留学後,昭和3年新潟医大レントゲン科初代教授となる。戦後は横浜市立医大教授,小田原市立病院長などをつとめる。日本医学放射線学会の設立につくした。昭和41年2月14日死去。70歳。広島県出身。東京帝大卒。著作に「内科レントゲン診断学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by