藤浪剛一(読み)フジナミ ゴウイチ

20世紀日本人名事典 「藤浪剛一」の解説

藤浪 剛一
フジナミ ゴウイチ

大正・昭和期の医学者,医史学者 慶応義塾大学医学部教授。



生年
明治13(1880)年6月

没年
昭和17(1942)年11月29日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
岡山医学専門学校〔明治39年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
明治42年ヨーロッパ留学、ウィーン大学でレントゲン学を研究。45年帰国、順天堂医院レントゲン科長となり、草創期のレントゲン学界に尽力。大正9年慶応義塾大医学部教授となり理学的診療科主任。また日本レントゲン学会、日本医史学会、日本温泉気候学会などの創立に参加。オーストリア・レントゲン学会名誉教授。著書に「内臓レントゲン診断学」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤浪剛一」の意味・わかりやすい解説

藤浪剛一
ふじなみごういち
(1880―1942)

放射線医学者。名古屋市生まれ。病理学者藤浪鑑(あきら)の弟。1906年(明治39)岡山医学専門学校(現、岡山大学医学部)を卒業し、その後、同校病理学教室で病理学を専攻。1908年ウィーン大学に留学してレントゲン学を学んで1912年に帰国、順天堂医院レントゲン科長となった。1920年(大正9)慶応義塾大学医学部教授となり、理学的診療科を主宰、レントゲン学・光線医学・温泉医学の診療、研究、指導を行った。また医学史の資料を収集し、医学史研究も行った。

[大鳥蘭三郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤浪剛一」の解説

藤浪剛一 ふじなみ-ごういち

1880-1942 明治-昭和時代前期の放射線医学者。
明治13年6月7日生まれ。ウィーン大に留学してレントゲン学をまなぶ。順天堂医院レントゲン科長をへて,大正9年慶大教授となる。日本レントゲン学会,日本医史学会,日本温泉気候学会の創設にくわわる。藤浪鑑(あきら)の弟。妻は作家の物集(もずめ)和子。昭和17年11月29日死去。63歳。愛知県出身。岡山医専(現岡山大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤浪剛一の言及

【藤浪鑑】より

…学士院会員。弟の藤浪剛一も医師で慶応大学教授,放射線医学者として著名。【長門谷 洋治】。…

※「藤浪剛一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android