今岡 純一郎
イマオカ ジュンイチロウ
明治〜昭和期の造船技術者,実業家 浦賀船渠社長。
- 生年
- 明治7年2月16日(1874年)
- 没年
- 昭和9(1934)年10月3日
- 出生地
- 大阪府岸和田
- 学歴〔年〕
- 東京帝大造船科〔明治31年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔大正4年〕
- 経歴
- 岸和田藩士・今岡隮の長男に生まれる。明治31年逓信省に入り、鉄道庁の技師や船舶課長などを務める。この間、36年から3年間外国の造船技術を研究のため英国・ドイツに留学した。大正5年退官。6年横浜船渠取締役、のち浦賀船渠社長となり、阪神築港などの役員も兼任。また帝国軍艦駆逐艦などの建造にも当たり、造船協会・帝国海事協会の評議員・理事・幹事なども務め、造船業界の第一人者として貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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今岡純一郎 いまおか-じゅんいちろう
1874-1934 明治-昭和時代前期の造船技術者,経営者。
明治7年2月16日生まれ。逓信省にはいり,鉄道庁の技師や船舶課長などをつとめ大正5年退官。翌年横浜船渠(せんきょ)取締役,のち浦賀船渠社長となり,阪神築港などの役員も兼任し,造船業界につくした。昭和9年10月3日死去。61歳。大阪出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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