今藤村
いまふじむら
[現在地名]植木町今藤
大清水村の東、石野村の北にあり、中央を今藤川(豊田川)が流れ、西辺を豊前街道が通る。室町初期と推定される一一月二六日の元了御房宛泉阿書状(早稲田大学所蔵荻野研究室収集文書)に「鎮興寺兵藤□小菴をむすひ候」とある。天正三年(一五七五)の「家久君上京日記」に「廿六日辰の尅に打立、(中略)右方にかうし殿、あかほしとの城とて遠くみえ侍り、それよりほたての門清水の左近といへる者の所へ一宿」「廿七日辰刻に打立、やかて今藤といへる村を過、千破の学頭とて、木場三介、しやうとの藤左衛門なと一類の心たち人あり」とあり、「ほたての門」は岩野村の小村帆立村のことと思われ、帆立―味取―今藤とほぼ後の豊前街道に相当する道を通り、豊田川沿いに東行し、台地の縁辺を千田(現鹿央町)に抜け、持松(現同前)を経て山鹿に至ったと判断される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報