介川村(助川村)(読み)すけがわむら

日本歴史地名大系 「介川村(助川村)」の解説

介川村(助川村)
すけがわむら

[現在地名]日立市助川すけがわ町一―五丁目・助川町・高鈴たかすず町一―二丁目・城南じようなん町一―五丁目・会瀬おうせ町二―四丁目・あさひ町一―二丁目・さいわい町一―三丁目・弁天べんてん町一―三丁目・若葉わかば町一―二丁目・鹿島かしま町一―三丁目・平和へいわ町一―二丁目・神峰かみね町一―二丁目

東は海、西側は高鈴山(六二三・六メートル)の東に広がる多賀山地丘陵で東縁辺を岩城相馬いわきそうま街道が通り、北寄りを数沢かずさわ川が東流する。南より西へ成沢なるさわ諏訪すわ両村および茅根ちのね春友はるとも町屋まちやの各村(現常陸太田市)に接する。多賀山地丘陵東麓が海岸段丘面に連なるはなわの地には縄文時代中期・後期の塙台はなわだい遺跡がある。

「常陸国風土記」の久慈郡の項に「(密筑里)より艮のかた廿里に助川の駅家あり。昔、遇鹿と号く。古老のいへらく、倭武の天皇、此に至りましし時、皇后、参り遇ひたまひき。因りて名づく。国宰、久米の大夫の時に至り、河に鮭を取るが為に、改めて助川と名づく。俗の語に、鮭の祖を謂ひて、須介と為す」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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