仙竜寺跡
せんりゆうじあと
蜻蛉の滝の下方に寺跡がある。享和二年(一八〇二)の西河村宗門帳三冊のうち家数人別改帳(森口家文書)には「真言宗仙竜寺 右之寺無旦那 当村無住ニ御座候」と記され、文化二年(一八〇五)の記録書(同文書)には紀州高野山吉祥院末とある。明治四年(一八七一)の取調付書上帳(西河区有文書)にも「真言宗紀州高野山西谷吉勝院末仙竜寺」とみえ、「境内二畝十五歩、東西拾間南北七間三尺、御高弐斗七升五合」とある。無住無旦那の寺として維持されてきたが、明治初年に廃寺となった。創建については不詳だが、滝を行場とする古代密教寺院で青根ヶ峯の山麓にあったことは確かである。清和上皇が名山仏滝を巡幸した記事のなかに比蘇寺(現奈良県大淀町世尊寺)・竜門寺(現同県吉野町)とともにみえる大滝寺が(「三代実録」元慶四年一二月四日条など)、当寺にあたるとも考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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