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阿波国 あわのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

阿波国
あわのくに

現在の徳島県。南海道の一国。上国。もと粟国造,長国造が支配。粟国は忌部氏の根拠地で,式内社忌部神社はその祖神アメノヒワシノミコトを祀り,名神大社。また長国は海部の勢力下にあり,那賀郡の式内社和耶神社は海部の祀った神社という。国府,国分寺はともに現在の徳島市におかれた。『延喜式』には阿波 (あは) ,麻殖 (をゑ) ,板野 (いたの) ,名東 (なひむかし) ,名西 (なにし) ,美馬 (みま) ,三好 (みよし) ,勝浦 (かつら) ,那賀 (なか) の9郡がみえ,鎌倉時代初期からは海部郡が加わる。また『和名抄』には郷 47,田 3414町余が記載されている。鎌倉時代,文治2 (1186) 年佐々木経高が守護となり,承久3 (1221) 年には小笠原氏。承久の乱に際し土御門上皇は初め土佐に流されたが,のち貞応2 (23) 年,当国に移され,寛喜3 (31) 年この地に崩御。南北朝時代には細川氏が支配したが,室町時代には細川氏,三好氏,松永氏と支配が代った。 10代将軍足利義稙は細川氏の専横を忌み,淡路を経て阿波国に来て,大永3 (1523) 年撫養 (むや) で没したが,その子孫は那賀郡平島にあって,阿波公方を称した。戦国時代の天正3 (75) 年には長宗我部元親が土佐から侵入して一時支配した。同 13年豊臣秀吉は長宗我部氏をくだし,蜂須賀氏を阿波国に封じた。蜂須賀家政は関ヶ原の戦いのとき西軍に属したが出陣せず,子の至鎮が徳川方であったため旧領を保った。江戸時代を通じて蜂須賀氏の徳島藩は変らず,幕末にいたった。明治4 (1871) 年の廃藩置県で徳島県となり,のち名東県に改められたが,1880年に徳島県となる。

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デジタル大辞泉の解説

あわ‐の‐くに〔あは‐〕【阿波国】

阿波

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百科事典マイペディアの解説

阿波国【あわのくに】

旧国名。阿州とも。南海道の一国。今の徳島県。《延喜式》に上国,9郡。中世,小笠原氏,細川氏が守護。のち三好氏,長宗我部氏らが支配。近世,蜂須賀氏が領有。→徳島藩
→関連項目藍住[町]四国地方徳島[県]富田荘

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

あわのくに【阿波国】

現在の徳島県域を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で南海道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からの距離では中国(ちゅうごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の徳島市国府(こくふ)町におかれていた。南北朝時代以降細川氏が勢力を伸ばし、近世には蜂須賀(はちすか)氏が支配した。同氏は1615年(元和(げんな)1)に淡路(あわじ)国を加増され、25万石の大名として幕末に至った。1871年(明治4)の廃藩置県により徳島県となったが、名東(みょうどう)県と改称、1876年(明治9)に高知県に併合されたが、1880年(明治13)に徳島県が再設置された。◇阿州(あしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

あわのくに【阿波国】

旧国名。現在の徳島県。
【古代】
 南海道に属する上国(《延喜式》)。律令制以前の阿波は忌部(いんべ)氏が活動した北方の粟国(あわのくに)と三輪系の海人(あま)の活動した南方の長国(ながのくに)に二大別されていたとされる。なお,吉野川上流の西部に別の1国を考える阿波3国説もある。令制下,2国(あるいは3国)は合一し,名方(のちに名東,名西),板野,阿波,麻殖(おえ),美馬(みま)(のち三好が分出),勝浦,那賀(のち海部が分出)の7郡がおかれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

阿波国
あわのくに

南海道に属する大国で、現在の徳島県にほぼ一致する。古くは粟国(あわのくに)と長国(ながのくに)の2国が『国造本紀(こくぞうほんぎ)』などにみえるが、645年(大化1)以来阿波国の称が使用されている。『和名抄(わみょうしょう)』には板野(いたの)、阿波、美馬(みま)、三好(みよし)、麻殖(おえ)(植)、名方(なかた)(のち名東(なひむかし)、名西(なにし))、勝浦(かつら)、那賀(なか)の8郡に分轄され、47郷が存在した。国衙(こくが)は名方郡に属し、現徳島市国府(こくふ)町の府中(こう)にあって、大御和(おおみわ)神社と真言宗大坊(だいぼう)(千輻寺(せんぷくじ))の一帯が比定されている。南海道の重要な位置を占め、畿内(きない)からの文化の流入も早かったことが、各地に散在する寺院跡などから、その事情を知ることができる。国分寺は近くの徳島市矢野にあり、国分尼寺跡も近くの名西郡石井町の尼寺にある。また荘園(しょうえん)は53荘8保(ほ)1厨(くりや)で、そのうち名東郡に富田、名東、郡東、新島(にいじま)、枚方(ひらかた)、観音寺の各荘と大豆処、津田島別納、芝原保。勝浦郡に生夷(いくひな)、勝浦、篠原、勝浦新、太奈、櫛淵(くしぶち)のほか三昧田(ざんまいだ)。板野郡に泊、萓島、矢上、富吉、小島、井隈(いのくま)、堀江、板西、板西下、日置の各荘と河崎、光富の保。那賀郡に竹原、大野、牛牧(うしき)、阿良多(あらた)野、福井、那賀山、平島、立江、坂野の各荘と桑野保、桑乃御厨。海部郡に日輪、宍咋(ししくい)の2荘。阿波郡に秋月、朽田(くちた)、東拝師(はやし)、西拝師の3荘と国衙領郡原(こおりばら)。麻植郡に麻植、山田、高越寺(こうつじ)、河輪田の各荘と国衙領種野(たねの)山。美馬郡に穴吹(あなぶき)荘。三好郡に金丸、福田、井川、三野田、田井、太井の各荘と稲用(いなもち)保。名西郡に浦、名西、高橋などの各荘があった。
 源平合戦後の1185年(文治1)佐々木経高(つねたか)が最初の守護として入部し、鳥坂城を守護所としたが、承久(じょうきゅう)の乱(1221)のとき新守護小笠原長経(おがさわらながつね)に倒された。南北朝内乱期に阿波に入った細川和氏(かずうじ)は現阿波市土成(どなり)町の秋月に軍府を置き、四国の経営に着手したが、その弟頼春(よりはる)は1341年(興国2・暦応4)に守護となり、2代守護頼之(よりゆき)は1367年(正平22・貞治6)に室町幕府の初代管領(かんれい)に就任した。そのため弟の詮春(あきはる)が守護となり、京と阿波の両細川家は補完関係にあって権勢を誇った。しかし8代守護持隆(もちたか)は執事三好義賢(よしかた)に倒され、この下剋上(げこくじょう)によって阿波は三好氏が領国の一円支配を目ざした。しかしたびたびの畿内への出兵で戦力を消耗し、そのすきをついて土佐の長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)は阿波に進攻し、1582年(天正10)阿波は長宗我部氏に支配されることになった。ところが1585年豊臣(とよとみ)秀吉による四国征伐のため元親は土佐に退き、功により阿波18万石は蜂須賀家政(はちすかいえまさ)に与えられた。翌年に吉野川デルタ上に徳島城が完成し、居城は一宮から徳島に移された。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いに際して豊臣秀頼(ひでより)に阿波を返上した家政は出家して高野山(こうやさん)に入り、嫡子至鎮(よししげ)は徳川方として戦功をたて、阿波は至鎮に与えられた。その後、蜂須賀氏は転封されることもなく、1615年(元和1)には淡路国を加増されて25万石の太守として、1869年(明治2)の版籍奉還まで支配した。
 近世の阿波国は、吉野川流域の北方は有名な阿波藍(あい)の大産地であり、那賀(なか)川流域の南方は米作地帯を形成し、鳴門(なると)海峡に面する撫養(むや)塩田は有数の塩業地帯であった。版籍奉還によって徳島藩が置かれ、1871年7月廃藩置県で徳島県となり、同年11月名東(みょうどう)県と改称されたが、1876年に名東県が廃され、阿波国は高知県に併合され、淡路国は兵庫県に管轄された。さらに1880年に徳島県が再置され、現在に至っている。[三好昭一郎]
『『徳島県史』(1967・徳島県) ▽三好昭一郎他著『阿波の歴史』(1975・講談社) ▽藤原之憲編、新井藍水訳『阿波志』(1932・郷土史刊行会)』

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世界大百科事典内の阿波国の言及

【徳島[県]】より

…面積,人口,経済がともに全国の100分の1を占めるため,〈100分の1県〉と呼ばれてきたが,高度経済成長にともなう地域格差の拡大によって,近年は100分の1の水準の維持も困難になってきている。
[沿革]
 県域はかつての阿波国全域にあたり,江戸時代は淡路国とともに徳島藩蜂須賀氏の所領であった。1871年(明治4)廃藩置県によって徳島藩は徳島県となり,同じく阿波・淡路両国を管轄した。…

※「阿波国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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