日本歴史地名大系 「伊万里城跡」の解説 伊万里城跡いまりじようあと 佐賀県:伊万里市脇田村伊万里城跡[現在地名]伊万里市松島町寛元年間(一二四三―四七)松浦党の一支族伊万里留(とんる)が地頭となり、今の城(じよう)山の地に築城した(西松浦郡誌)という。城の規模など明らかでない。伊万里文書の源披譲状案・さいねん譲状案・源留譲状案・源勝譲状案などでみると留は、「伊万里浦」「福島(ふくしま)」「波多津(はたつ)浦」「蒲田(かまた)浦」「青崎(あおさき)」「矢岳(やだけ)」のほか、元寇の勲功地神埼(かんざき)郡神埼庄などを領し、五島(ごとう)(現長崎県)の大平戸党・今富党・小浦党などの海夫集団を掌握していた。伊万里浦はもと弁済使公文二郎真高の領知のところ、作人が逃亡、荒廃した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by