伊与木城跡(読み)いよきじようあと

日本歴史地名大系 「伊与木城跡」の解説

伊与木城跡
いよきじようあと

[現在地名]佐賀町伊与喜

伊与喜いよきの通称フルシロにある。小高い山丘上で、現在は畑となっている。城跡には三つの段を残すが、遺構らしいものはいまみることができない。

一条氏入国後の文明一一年(一四七九)に築城され、堀川大炊助藤原信隆が京都から招かれて初代城主となり、一千二〇〇石を給されて以来伊与木氏を名乗って七代一二二年間続いたと伝え、熊井くまい熊野神社の天文五年(一五三六)の棟札銘(「南路志」所引)に伊与木対馬守宗実の名がみえる。元亀二年(一五七一)長宗我部元親が高岡郡仁井田にいだ窪川くぼかわ(現窪川町)に進出した際、三代隆祐・四代隆康は一条氏の命を受けて出陣し、奮戦した。その後天正三年(一五七五)一条氏没落の折、幡多郡諸将の多くは元親の配下に入り、隆康も旧領を安堵された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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