佐賀町(読み)さがちよう

日本歴史地名大系 「佐賀町」の解説

佐賀町
さがちよう

[現在地名]江東区佐賀一―二丁目

大川(隅田川)東岸に沿って南北に延びる町屋深川佐賀ふかがわさが町とも称し、仙台せんだい堀に架かる上之かみの橋から中之なかの堀に架かる中之橋までを上佐賀町、中之橋からあぶら堀に架かる下之橋までを中佐賀町、下之橋から南を下佐賀町と通称した。北は仙台堀を隔てて陸奥仙台藩松平(伊達)家蔵屋敷、東は北から今川いまがわ町・中川なかがわ町・堀川ほりかわ町、上総大多喜藩松平(大河内)家下屋敷など、南は船手組屋敷。下佐賀町から大川に永代えいたい橋が架かる。

寛永六年(一六二九)摂津方面から来た八名の漁師が幕府に願出て汐除堤外の干潟を埋立てて町とし、それぞれの名前をとって町名をつけた深川猟師ふかがわりようし町八ヵ町の一。漁業を許可された代りに、御菜肴の上納や役船などの諸役を勤める無年貢地であったが、寛文一〇年(一六七〇)の検地後年貢地となる。

佐賀町
さがちよう

面積:七六・〇八平方キロ

幡多郡東端に位置する。窪川くぼかわ台地南斜面、幡多路への入口片坂かたさかの峠下市野瀬いちのせに源を発し、火打ひうちもりを主峰とする山嶺の東斜面下をほぼ南流する伊与喜いよき(伊与木川)流域を主たる町域とする。伊与喜川は江戸時代には佐賀川とよばれた(元禄土佐国絵図)。東は土佐湾に臨み、南部には足摺あしずり岬に続く海岸段丘北端が現れ、国道五六号から海岸線にかけては広い海食台が発達している。北および北東は高岡郡窪川町、北西大正たいしよう町、南西大方おおがた町に各々接する半農半漁の町。江戸時代初期からよく知られた土佐の捕鯨地の一つ。漁礁もあり、鰹漁、鰤の定置網漁業でも名があり、沿岸および近海漁業の基地で、佐賀とすずがその中心。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報