伊与田城跡(読み)いよたじようあと

日本歴史地名大系 「伊与田城跡」の解説

伊与田城跡
いよたじようあと

[現在地名]宿毛市山奈町山田

山田やまだの南辺を通る国道五六号(宿毛街道)より北へ四〇〇―五〇〇メートル入った山上にあり、秋葉あきば神社を祀るところから、土地では城山を「秋葉様」とよんでいる。城主は伊与田淡路守とされる。伊与田淡路守は一条氏の家臣で、天正二年(一五七四)一条兼定が豊後に追われた後も長宗我部元親に降らなかったため、元親は小島出雲守に命じて攻撃させ、城は陥落した(土佐国古城略史)。淡路守は敗走したとも敗死したともいわれる。天正一八年の山田郷地検帳には「イヨタ城キシカケテ」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む