伊丹 秀子(読み)イタミ ヒデコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「伊丹 秀子」の解説

伊丹 秀子
イタミ ヒデコ


職業
浪曲師

本名
伊丹 とめ

別名
初名=藤原 朝子(フジワラ トモコ),前名=天中軒 雲月嬢(テンチュウケン ウンゲツジョウ),天中軒 雲月(2代目)(テンチュウケン ウンゲツ)

生年月日
明治42年 10月14日

出生地
東京市浅草区千束町(東京都 台東区)

経歴
兄と義姉が浪曲師で、6歳の時に藤原朝子として初舞台。18歳で天中軒雲月の名跡を預かる興行師・永田貞雄結婚、天中軒雲月嬢を名乗る。昭和9年2代目天中軒雲月を襲名。ついで帝蓄に属し、「乃木将軍墓参」「杉野兵曹長の妻」がヒットする。子ども、青年、娘、老人の声を場合によって使いわけ、“七色の声”として一世を風靡した。太平洋戦争中は「祖国の花嫁」「九段の母」など映画や実演で活躍。22年永田と離婚、同時に伊丹秀子と改名し、31年引退興行を行った。

没年月日
平成7年 10月28日 (1995年)

家族
二女=永田 とよ子(=3代目天中軒雲月)(歌手・浪曲師)

親族
義姉=雲井 式部(浪曲師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「伊丹 秀子」の解説

伊丹 秀子
イタミ ヒデコ

昭和期の浪曲師



生年
明治42(1909)年10月14日

没年
平成7(1995)年10月28日

出生地
東京市浅草区千束町(現・東京都台東区)

本名
伊丹 とめ

別名
初名=藤原 朝子(フジワラ トモコ),前名=天中軒 雲月嬢(テンチュウケン ウンゲツジョウ),天中軒 雲月(2代目)(テンチュウケン ウンゲツ)

経歴
兄と義姉が浪曲師で、6歳の時に藤原朝子として初舞台。18歳で天中軒雲月の名跡を預かる興行師・永田貞雄と結婚、天中軒雲月嬢を名のる。昭和9年2代目天中軒雲月を襲名。ついで帝蓄に属し、「乃木将軍墓参」「杉野兵曹長の妻」がヒットする。子供、青年、娘、老人の声を場合によって使いわけ、“七色の声”として一世を風靡した。太平洋戦争中は「祖国の花嫁」「九段の母」など映画や実演で活躍。22年永田と離婚、同時に伊丹秀子と改名し、31年引退興行を行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊丹 秀子」の解説

伊丹秀子 いたみ-ひでこ

1909-1995 大正-昭和時代の浪曲師。
明治42年10月14日生まれ。7歳のとき藤原朝子(ともこ)の名で初舞台。興行師永田貞雄と結婚。昭和9年2代天中軒雲月を襲名。評判の七色の声で「杉野兵曹長の妻」「九段の母」「瞼(まぶた)の母」などをヒットさせ,映画にもおおく出演した。22年伊丹秀子を芸名とした。平成7年10月28日死去。86歳。東京出身。本名はとめ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊丹 秀子」の解説

伊丹 秀子 (いたみ ひでこ)

生年月日:1909年10月14日
大正時代;昭和時代の浪曲師
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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