日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮之城」の意味・わかりやすい解説
宮之城
みやのじょう
鹿児島県北西部、薩摩郡(さつまぐん)にあった旧町名(宮之城町(ちょう))。現在はさつま町の西部及び南部を占める。旧宮之城町は1919年(大正8)町制施行。1954年(昭和29)佐志(さし)村を編入、1955年山崎町と合併。町名は、1595年(文禄4)に都城(みやこのじょう)から移った北郷氏(ほんごううじ)が旧領にちなみ命名した城名による。2005年(平成17)薩摩町、鶴田(つるだ)町と合併、さつま町となった。旧宮之城町の市街地は川内川(せんだいがわ)中流の小盆地に位置し、国道267号、328号、504号が交差する交通の要地。古代・中世を通じて祁答院(けどういん)七郷の中心で、近世には宮之城島津家の居城・麓(ふもと)などが置かれ、一帯は薩摩藩の穀倉であった。現在は米作のほか茶、畜産が盛ん。明治前期から1971年(昭和46)まで製糸工場もあった。竹林が多く竹製品を特産とする。市街地北東5キロメートルの川内川左岸にある宮之城温泉は、硫黄泉で泉温51℃。文政(ぶんせい)年間(1818~1830)の開湯と伝え、1972年の集中豪雨で温泉街が流失したが、いまは復興している。川内川流域県立自然公園の拠点としてにぎわう。
[白石太良]
『『宮之城町史』(1974・宮之城町)』▽『『宮之城温泉復興誌』(1982・宮之城町)』