鶴田郷(読み)つるだごう

日本歴史地名大系 「鶴田郷」の解説

鶴田郷
つるだごう

薩摩国伊佐郡の北西部に位置する外城。中之郷に位置づけられ(列朝制度)、鹿児島県城下からの距離は一一里半(「薩藩政要録」など)。鹿児島藩直轄郷で、鶴田・神子こうし柏原かしわばる紫尾しびの四ヵ村からなる(「三州御治世要覧」など)地頭仮屋は鶴田村(旧町役場の地)に置かれ、その周囲に麓が形成され、野町は麓の南東方に置かれた。寛永九年(一六三二)頃の地頭は鎌田監物政貞(地誌備考)。郷高(所惣高)は正徳三年(一七一三)頃には四千八二石余(藤井本「要用集抄」)延享(一七四四―四八)頃には四千三六一石余(三州御治世要覧)、文政七年(一八二四)には五千一五二石余(「鶴田再撰方糺帳」鶴田町役場蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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