日本歴史地名大系 「伊保庄村」の解説 伊保庄村いほのしようむら 山口県:柳井市伊保庄村[現在地名]柳井市大字伊保庄・大字阿月(あつき)熊毛(くまげ)半島の東部を占め、海岸に沿って南北に長い村。西は大星(おおぼし)山・皇座(おうざ)山の稜線を境として現熊毛郡。萩藩領上関宰判に属した。仁平二年(一一五二)八月一日の周防国在庁下文(鳥居大路文書)に「伊保庄」とみえる。これより早く、延喜八年(九〇八)の周防国玖珂郡玖珂郷戸籍(石山寺文書)の「伊宝郷戸主和爾部今男戸」や「和名抄」にみえる郷名「伊実(宝カ)」を伊保庄にあてる説もあるが不詳。平安時代から中世にかけて、伊保庄は山城国賀茂(かも)社の荘園であった。また、阿月池の浦(いけのうら)は源平合戦の戦場となったという(注進案)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by