日本歴史地名大系 「柳井市」の解説 柳井市やないし 面積:一二七・五二平方キロ山口県の南東部、瀬戸内海に面する。熊毛(くまげ)半島の東半部を市域とし、南東海上に屋代(やしろ)島(周防大島)を望む。南海上には市域である平郡(へいぐん)島がある。市域の大部分は山地で、東部の琴石(こといし)山、北部の氷室(ひむろ)山などの山々は伊陸(いかち)・日積(ひづみ)の盆地をつくり、また由宇(ゆう)川・柳井川の最上流となる。柳井川は琴石山北側を西に流れ、中馬皿(なかばさら)から南流し瀬戸内海に注ぐ。この柳井川河口から西の部分は柳井水道と称する沖積平野の低地帯で、柳井市の中心市街地を形成する。柳井の初見は、貞永元年(一二三二)の周防国司庁宣案(東大寺文書)に「右、彼保司代僧幸円去月廿七日解状、件名田者、当保与楊井庄堺相論之時、在庁官人并守護所使共致沙汰、任古堺令糺付国領畢」とある楊井(やない)庄で、三浦家文書の正平一五年(一三六〇)の目録などに蓮華王(れんげおう)院(現京都市東山区)灯油料としての「楊井庄」などがみえる。〔原始・古代〕縄文時代の遺跡は伊保(いほ)庄の宮田(みやた)・黒島浜(くろしまはま)、阿月の与浦(あつきのようら)など熊毛半島の東岸に分布する。弥生時代の遺跡は伊保庄、余田(よた)をはじめ市内各地に分布し、集落が形成されていたことがわかる。古墳時代のものとして茶臼山(ちやうすやま)古墳・上八(こうじよう)古墳、赤子(あかご)山の北麓梶(かじ)ヶ森(もり)古墳などがある。なかでも茶臼山古墳は竪穴式石室をもつ前方後円墳で土着豪族の存在が推定される。養老五年(七二一)熊毛郡を割いて玖珂(くが)郡を置いたが(続日本紀)、柳井は伊保庄を除いて玖珂郡に属した。「和名抄」では、柳井市域の中央は郷名を欠いている。 柳井市やないし 2005年2月21日:柳井市と玖珂郡大畠町が合併⇒【大畠町】山口県:玖珂郡⇒【柳井市】山口県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柳井市」の意味・わかりやすい解説 柳井〔市〕やない 山口県南東部,瀬戸内海に臨む市。平郡島を含む。 1954年柳井町と日積村,伊陸村,新庄村,余田村の4村が合体して市制。同年平郡村,1956年阿月村,伊保庄村を編入。 2005年大畠町と合体。中心市街地東部の柳井港は古くからの良港で,岩国藩の物資の移入口として繁栄した。伝統の柳井縞,甘露醤油の産地。近年は港が浅くなり,船舶の大型化も影響して港の機能は衰退した。周南工業整備特別地域 (→周南工業地域 ) の東部を占め,電機工場がある。茶臼山古墳 (国指定史跡) ,余田臥竜梅 (よたがりゅうばい。国指定天然記念物) などがある。 JR山陽本線,国道 188号線や内陸部各地へ向かう地方道が集まる交通の要地。大畠と対岸の大島が大島大橋で結ばれるほか,柳井港からフェリーで三津浜港 (愛媛県松山市) に通じる。面積 140.05km2。人口 3万799(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by