伊北庄(読み)いほうのしよう

日本歴史地名大系 「伊北庄」の解説

伊北庄
いほうのしよう

古代の夷隅郡南北に分けられて成立した伊北郡が庄園化したと考えられる。史料上は伊保庄ともみえ、現在の夷隅郡の西半部と勝浦市西部にわたる地域に比定される。伊南いなん庄を含め伊隅いすみ庄とも称されており、鳥羽金剛心とばこんごうしん(現京都市伏見区)領であった(「吾妻鏡」文治四年六月四日条)。承久二年(一二二〇)と推定される一一月二五日付の上総介清国書状(「民経記」寛喜三年一〇月巻紙背文書)には「伊(隅)庄内伊北分」ともみえるほか、「吾妻鏡」には建保元年(一二一三)三月七日条で伊北庄としながら、同年五月七日条では伊北郡とするなど混用がみられる。同書治承四年(一一八〇)九月一九日条によると、上総権介広常は伊北の輩らを率い源頼朝のもとへ参上している。同書同年一〇月三日条には伊北庄司常仲とみえ、伊北庄の存在が確認されるが、常仲は平家方の安房国住人長狭常伴の外甥という理由で、頼朝の命により千葉胤正追討を受けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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