三浦胤義(読み)みうら・たねよし

朝日日本歴史人物事典 「三浦胤義」の解説

三浦胤義

没年承久3.6.15(1221.7.6)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武士通称は九郎。義澄の子。左衛門尉・検非違使。建保1(1213)年の和田合戦では和田氏にくみしながら,翻って北条氏方につき,その勲功として上総国伊北郡を拝領した。有力御家人として活躍したが,女性問題で闘乱事件を起こす一面もあった。大番役で在京中,後鳥羽上皇誘引を受け,承久の乱(1221)では京方についた。兄義村を誘うが失敗。京都で伊賀光季を討ったのち,幕府軍の上洛に際し美濃国摩免戸(岐阜県稲葉町)を防備したが敗退し,京都の東寺で幕府方の三浦一族と激しく戦った。幼子に一目会おうと太秦に向かうが,敵に囲まれて木島で自殺。<参考文献>『吾妻鏡』『承久記

(高橋秀樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦胤義」の解説

三浦胤義 みうら-たねよし

?-1221 鎌倉時代の武将
三浦義澄(よしずみ)の子。鎌倉幕府の御家人。畠山重忠追討,和田氏の乱で功をたてる。のち北条義時と反目,在京して検非違使(けびいし)に任じられた。承久(じょうきゅう)の乱で後鳥羽(ごとば)上皇方につき,兄三浦義村を味方にさそうが失敗。幕府軍に各所で敗れ,承久3年6月15日京都太秦(うずまさ)の木島(このしま)社で自害。通称は平九郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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