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伊地知貞馨 いじち さだか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊地知貞馨 いじち-さだか

1826-1887 幕末-明治時代の武士,官吏。
文政9年生まれ。伊地知壮熊の父。薩摩(さつま)鹿児島藩士。江戸の昌平黌(しょうへいこう)にまなぶ。西郷隆盛らと尊攘(そんじょう)運動に従事,島津久光公武合体運動をたすける。新政府では琉球在番などをつとめた。明治20年4月15日死去。62歳。本姓は堀。通称は仲左衛門など。著作に「沖縄志」。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

伊地知貞馨

没年:明治20.4.15(1887)
生年:文政9(1826)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,明治政府の官吏。堀右衛門の3子,仲左衛門を称した。安政6(1859)年,江戸にいて西郷隆盛,有馬新七と共に水戸浪士と謀り井伊幕政の打倒を画策し挫折,帰国。翌年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。文久1(1861)年命により江戸に赴き,藩主参勤の延期を求めるが容れられず,口実を作るため藩邸を焼く。これが幕府に知られ,藩政府から嫌疑を避けるため伊地知への改姓を命じられた。翌2年,有馬新七らの挙兵計画鎮圧を主張し西郷隆盛から批判を受ける。維新後の官歴は華やかではなく,明治1(1868)年鹿児島藩参政,同4年外務省出仕琉球藩在勤,同14年より修史局にあって編修に従事。『紹述編年』他の著作がある。

(井上勲)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の伊地知貞馨の言及

【沖縄学】より


[歴史]
 1879年の廃藩置県(琉球処分)以後の研究を指す。その以前に大槻文彦《琉球新誌》(1873)や伊地知貞馨《沖縄志》(1877)などが〈処分〉へ向けた政治的な含みをもってあらわれるが,それらは研究前史に位置づけられよう。初期段階では学術的に未開拓の沖縄に魅せられた研究者の先駆的な業績がある。…

※「伊地知貞馨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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