朝日日本歴史人物事典 「伊地知貞馨」の解説
伊地知貞馨
生年:文政9(1826)
幕末の薩摩(鹿児島)藩士,明治政府の官吏。堀右衛門の3子,仲左衛門を称した。安政6(1859)年,江戸にいて西郷隆盛,有馬新七と共に水戸浪士と謀り井伊幕政の打倒を画策し挫折,帰国。翌年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。文久1(1861)年命により江戸に赴き,藩主参勤の延期を求めるが容れられず,口実を作るため藩邸を焼く。これが幕府に知られ,藩政府から嫌疑を避けるため伊地知への改姓を命じられた。翌2年,有馬新七らの挙兵計画鎮圧を主張し西郷隆盛から批判を受ける。維新後の官歴は華やかではなく,明治1(1868)年鹿児島藩参政,同4年外務省出仕琉球藩在勤,同14年より修史局にあって編修に従事。『紹述編年』他の著作がある。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報