フランス、ロマン派の詩人、小説家。フランス革命で没落した地方貴族の出身で、ロアール川の支流に面したロシュで生まれたが、まもなくパリに出て、定住した。初め、同時代の少年たちと同じように、ナポレオンの栄光に酔って、軍人を志したが、彼が軍隊に入ったときには、すでにナポレオンの時代は終わり、復古王政時代になっていた。この時代の単調でくだらない軍隊生活に嫌気を感じて、文学に心を向け始めた。1820年ユゴーと知り合い、彼に誘われて詩をつくり始め、26年『古今詩集』Poèmes antiques et modernesを発表した。このなかでは、ピレネー山中でロランの伝説をしのんでつくった『角笛(つのぶえ)』Le Corや、『旧約聖書』の「出エジプト記」に題材をとり、ロマン主義文学のテーマの一つである天才の孤独を歌った『モーゼ』Moïseが優れている。
また、このころから小説を書き始め『サン・マール』(1826)、『ステロ』Stello(1832)、『軍隊の屈従と偉大』(1835)を発表した。『サン・マール』では、政治権力を代表するリシュリューに向かって敗れた貴族サン・マールの陰謀とその挫折(ざせつ)を描き、『ステロ』では、詩人は、詩的生活を政治生活から切り離し、孤独に自己の使命を果たすべきであるとして、詩人と社会との対決を問い、『軍隊の屈従と偉大』では、自分の軍隊生活を回顧して、華やかなものの下に押しつぶされた下級兵士の惨めさと、黙々として自分の義務を果たしている兵士の偉大さを描いた。また、『ステロ』の一部を劇化して上演した『チャタートン』Chatterton(1835)は、ロマン派の演劇として、女優ドルバルMarie Dorval(1798―1849)の演技と相まって成功したものである。
[松下和則]
その後は、ドルバルとの恋愛とその破局とで受けた心の傷が転機となって、文壇から遠ざかり、ときおり『両世界評論』誌上に詩を発表するだけであった。これらの詩のなかで、彼は、女性は男性を裏切り(『サムソンの怒り』La Colère de Samson)、自然も人間に慰めを与えず(『牧人の家』La Maison du berger)、神も人間の苦悩に対して冷ややかで永遠の沈黙を守るだけであり(『オリーブの山』Le Mont des Oliviers)、ついに人間は、名誉を最高の理想として、だれをも憎まず死んでゆくべきである(『狼(おおかみ)の死』La Mort du loup)という境地に達したのである。これらの詩の数は少ないが、いずれも珠玉の詩片で、死後1864年、『運命』と題して一巻にまとめられた。この哲学詩集によって、彼の名はフランス・ロマン主義詩人のなかで不朽の光を放っている。なお遺稿として、『詩人の日記』Le Journal d'un poète(1867)と題されて日記が出版されている。
[松下和則]
『松下和則訳『軍隊の屈従と偉大』(『世界文学大系25』所収・1960・筑摩書房)』▽『松下和則訳『サン・マール』(『世界文学全集18』所収・1967・筑摩書房)』▽『平岡昇訳『運命』(『世界名詩集大成2』所収・1960・平凡社)』▽『大塚幸男著『アルフレッド・ド・ヴィニ』(1971・白水社)』
フランスの詩人。その生涯は失望の生涯であり,失望を乗り越えて希望と確信を求め続け,人間精神の高貴さと尊厳を知的に表現した。あこがれの軍隊に入ったときには,すでに軍人の栄光の時代は終わっていた。貴族として政治的役割を果たしたいと望んで果たせず,イギリス女性と結婚したが,病身の妻に生涯悩まされ,女優マリー・ドルバルに夢を託して裏切られ,文学においても自らが開拓した分野で他の人が成功するのを見て苦しんだ。1822年に処女詩集を世に問うが,ほとんど黙殺された。これはのちに増補されて《古今詩集》(1826)となる。26年に小説《サン・マール》を発表し,輝かしい成功を手にした。フランスで評価された最初の歴史小説である。27年に軍隊を退き,文学に専念する。小説としては,詩人であるがゆえにどのような体制の社会にも容れられなかったT.チャタートン,ジルベール,シェニエを主人公とした三部作《ステロ》(1832),日常の屈従のうちに英雄主義を見いだす兵士を描いた《軍隊の屈従と偉大》(1835),政治の欺瞞を暴いた《ダフネ》(死後出版,1912)を書き,演劇では,シェークスピアの《オセロー》の翻訳をコメディ・フランセーズで上演(1829)して,それまで下品な語として舞台では禁じられていた〈ムーショアール〉(ハンカチ)という語を初めて使って,ロマン派演劇に勝利の道をひらき,《ステロ》の第1の挿話を劇化した《チャタートン》(1835)で大成功を収めた。しかしそれ以後は,サント・ブーブがビニーを評したように,いわゆる〈象牙の塔〉にこもって,〈沈黙して苦しむ名誉〉を心に抱き,実社会における苦しみを忍び,その苦しみを克服することに人間の偉大さを見いだした,哲学的であるが力強く透明な《牧人の家》《純粋精神》などの詩を書いた。これらの詩は《運命》という表題の詩集にまとめられ,《詩人の日記》(1867)同様,詩人の死後1864年になって公にされた。
執筆者:高木 進
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