伊府村(読み)いぶむら

日本歴史地名大系 「伊府村」の解説

伊府村
いぶむら

[現在地名]日高町伊府

篠垣しのがき村の北東稲葉いなんば川の中流域、三方みかた盆地東部に位置する。伊苻村と記すものもある。慶長一八年(一六一三)より旗本石川弥左衛門の知行、貞享元年(一六八四)収公され、以後幕府領で幕末に至る(「寛政重修諸家譜」・寛永一六年知高帳、宝暦三年「村明細帳」西田家文書)。寛永一六年(一六三九)の知高帳によると高三五四石余。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図には伊苻村とあり、高は同じ。宝暦三年(一七五三)の村明細帳に、寛文八年(一六六八)に石川氏による検地があったことが記され、古高三五四石余・新検高三一四石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む