日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊庭軍兵衛」の意味・わかりやすい解説
伊庭軍兵衛
いばぐんべえ
(1807―1858)
剣術の心形刀(しんぎょうとう)流宗家8代で同流中興の名剣士。名は秀業(ひでなり)、常同子(じょうどうし)と号す。本姓は三橋銅四郎。7代目秀淵(ひでなみ)の門に入り、その剣才を認められて養子となり、老中水野忠邦(ただくに)の推挙で御書院番士に登用されたが、水野の失脚後は職を辞して、下谷(したや)長者町の道場で門弟の育成に専念し、千葉、斎藤、桃井(もものい)と並んで江戸の四大道場の一つに数えられた。講武所の開設にあたり、出仕を命ぜられたが固辞し、養子の惣太郎(垪和(はが)氏)、甥(おい)の三橋虎蔵(とらぞう)、湊(みなと)信八郎(ともに兄の子)を出仕させた。のち惣太郎は家督を継ぎ、9代軍兵衛秀俊(ひでとし)を称し、教授方から剣術師範役に進んだ。
[渡邉一郎]