伊篠村
いじのむら
下岩橋村の東、江川(伊篠川)上流左岸に位置。中央を往還する道幅四間の成田道沿いの向山・越徳には杢之進並木と俗称された松並木があった。幕府代官小宮山杢之進昌世の植林と伝えられ、街道の名所であった。大池には面積一町の大池があり(印旛郡誌)、「佐倉風土記」には伊篠清水も所見する。中世は印東庄のうち。明応四年(一四九五)一一月九日の常輝判物(浄泉寺文書)に「印東庄伊篠北方村」とみえ、千葉常輝(孝胤)は粟飯原豊後入道浄泉の申出のとおり、周心院(浄泉寺の前身)を粟飯原氏の菩提所とすることなどを認めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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