改訂新版 世界大百科事典 「粟飯原氏」の意味・わかりやすい解説
粟飯原氏 (あいはらうじ)
中世に活躍した武家で諸流がある。(1)武蔵七党横山党の一族。藍原とも書く。1213年(建保1)の和田合戦に和田方にくみして粟飯原太郎以下が討死。のち北条得宗家の被官としてみえる粟飯原氏は,この和田合戦に生き残った同氏の後裔であるという。(2)桓武平氏千葉氏族。前記の和田合戦の直接の契機となったのは,和田義胤(義盛の弟)らによる謀反露顕事件であったが,このとき千葉介被官粟飯原次郎なる者が謀反の回文を持った阿念房を捕らえて謀反露顕の端緒をひらいている。この粟飯原次郎は桓武平氏千葉氏から分出して千葉氏被官となった粟飯原氏の一族である。(3)さらに以上の2氏との関係は不明であるが,鎌倉時代の京都六波羅奉行人の系譜をひくと思われる粟飯原清胤が,室町幕府政所執事・引付奉行として活躍しており,その子直胤も奉行人となったほか,幕府奉公衆に編成されたものの中にも粟飯原姓が多い。
執筆者:外岡 慎一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報