伊藤宗一郎(読み)イトウ ソウイチロウ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊藤宗一郎」の解説

伊藤 宗一郎
イトウ ソウイチロウ*


肩書
衆院議員(自民党),元・衆院議長,元・科学技術庁長官,元・防衛庁長官

生年月日
大正13年3月21日

出生地
宮城県加美郡中新田町

学歴
東北帝国大学法学部政治学科〔昭和22年〕卒

経歴
昭和23年読売新聞社に入社。政治記者時代に河野一郎農相(当時)の日ソ漁業交渉に同行取材したことなどを縁に秘書官に転じて政界入り。農林、科学技術政務次官、党広報委員長、56年鈴木内閣の防衛庁長官など歴任し、62年竹下内閣の科学技術庁長官となる。平成8年11月衆院議長に就任。10年の与野党対立で粉糾した金融国会、12年の衆院定数削減国会などで調整役を務めた。三木元首相の下で総裁予備選制度を起草した。竹下登との深い関係で知られ、竹下死去に伴い日韓議員連盟の後継会長を務めた。当選13回。三木派河本派を経て、高村派

受賞
勲一等旭日桐花大綬章〔平成13年〕

趣味
囲碁 少林寺拳法

没年月日
平成13年9月4日

家族
長男=伊藤 信太郎(東北福祉大学教授)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊藤宗一郎」の解説

伊藤 宗一郎
イトウ ソウイチロウ

昭和・平成期の政治家 衆院議員(自民党);元・衆院議長;元・科学技術庁長官;元・防衛庁長官。



生年
大正13(1924)年3月21日

没年
平成13(2001)年9月4日

出生地
宮城県加美郡中新田町

学歴〔年〕
東北帝国大学法学部政治学科〔昭和22年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日桐花大綬章〔平成13年〕

経歴
昭和23年読売新聞社に入社。政治記者時代に河野一郎農相(当時)の日ソ漁業交渉に同行取材したことなどを縁に秘書官に転じて政界入り。農林、科学技術政務次官、党広報委員長、56年鈴木内閣の防衛庁長官など歴任し、62年竹下内閣の科学技術庁長官となる。平成8年11月衆院議長に就任。10年の与野党対立で粉糾した金融国会、12年の衆院定数削減国会などで調整役を務めた。三木元首相の下で総裁予備選制度を起草した。竹下登と関係が深く、竹下死去後は日韓議員連盟の後継会長を務めた。当選13回。三木派、河本派を経て、高村派。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤宗一郎」の解説

伊藤宗一郎 いとう-そういちろう

1924-2001 昭和後期-平成時代の政治家。
大正13年3月21日生まれ。読売新聞の政治部記者となる。河野一郎を知り,農林省を担当。のち大臣秘書官をへて,昭和35年衆議院議員(当選13回,自民党)。農林政務次官,科学技術政務次官などをつとめ,56年鈴木内閣の防衛庁長官,62年竹下内閣の科学技術庁長官。平成8-12年衆議院議長。平成13年9月4日死去。77歳。宮城県出身。東北帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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