政治家。島根県生まれ。1947年(昭和22)早稲田(わせだ)大学を卒業し、島根県の中学校教師となる。青年団活動で政治基盤を築き、1951年島根県議会議員、1958年自民党衆議院議員となり、1971年第三次佐藤栄作内閣の官房長官で初入閣、得意な「根回し、気配り」で政策調整、国会対策に活躍。1974年田中角栄(たなかかくえい)内閣で内閣官房長官、1978年大平正芳(おおひらまさよし)内閣の大蔵大臣、1982年中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣で大蔵大臣などを歴任した。1985年田中派から独立して創政会を旗上げ、1986年創政会を解散、自民党幹事長となり、1987年竹下派「経世会」を結成し、自民党最大派閥となって党を支配、同年第12代自民党総裁、第74代、46人目の首相に就任。ふるさと創生を目標に掲げたが、消費税導入による不人気、リクルート事件の疑惑で退陣した。のち宇野宗佑(うのそうすけ)、海部俊樹(かいふとしき)、宮沢喜一各政権づくりで影響力を発揮したが、1992年(平成4)には竹下派が小渕(おぶち)派と羽田(はた)派に分裂し影響力は大きく低下した。2000年政界を引退。
[伊藤 悟]
『竹下登著『証言 保守政権』(1991・読売新聞社)』▽『竹下登著『政治とは何か――竹下登回顧録』(2001・講談社)』▽『岩瀬達哉著『われ万死に値す――ドキュメント竹下登』(新潮文庫)』
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… 国会での追及と検察当局の捜査の結果によれば,未公開株を贈られた政治家は自民党13名,民社党2名,社会党・公明党各1名であった。このなかには中曾根康弘内閣の閣僚4名,官房副長官がおり,贈与を受けた宮沢喜一蔵相は辞任(1988年12月),竹下登首相も辞任に追い込まれ,同内閣は崩壊(1989年6月),中曾根は自民党籍を離脱した(1989年5月)。また元官房長官藤波孝生,公明党議員池田克也が受託収賄罪で,自民党議員安倍晋太郎,宮沢,加藤六月の各秘書が政治資金規正法違反で,NTT代表取締役真藤恒,文部次官高石邦男,労働次官加藤孝らが収賄罪で起訴され,真藤,加藤の有罪が確定している。…
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