伊藤 謙一
イトウ ケンイチ
明治・大正期の漢詩人,教育家
- 生年
- 嘉永2年8月8日(1849年)
- 没年
- 大正14(1925)年12月
- 出生地
- 淡路国洲本(兵庫県)
- 経歴
- 漢詩人の徳島藩士・伊藤聴秋の長男に生まれ、幼少より諸学を修め、中でも漢籍に最も精通した。明治初年に阿波徳島藩の修進館の教授となり、のち洲本日進校の助教を務める。更に兵庫県津名郡役所に入って教育行政を20有余年担当した。字は国楨、号を黄雪・雨外と称し、漢詩3000編を詠んだという。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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伊藤謙一 いとう-けんいち
1849-1925 明治-大正時代の漢詩人。
嘉永(かえい)2年8月8日生まれ。伊藤聴秋(ていしゅう)の長男。明治のはじめ阿波(あわ)徳島藩の修進館の教授となり,のち洲本日進校の助教をつとめた。兵庫県津名(つな)郡役所でも教育行政を担当。漢詩3000編をよんだという。大正14年12月死去。77歳。淡路(あわじ)(兵庫県)出身。字(あざな)は国楨。号は黄雪,雨外。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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