伊藤軍兵衛(読み)いとう・ぐんべえ

朝日日本歴史人物事典 「伊藤軍兵衛」の解説

伊藤軍兵衛

没年:文久2.6.1(1862.6.27)
生年天保11.11(1840)
幕末信濃松本藩(長野県)藩士尊攘派志士。文久1(1861)年5月28日,イギリス公使館にあてられていた高輪東禅寺水戸浪士が襲撃した。第1次東禅寺事件である。翌2年8月幕命により松本藩が大垣・岸和田両藩と共に東禅寺警衛に当たるに際し,警衛隊に編入された。折から水戸浪士の再襲撃の噂があり,攘夷の心情を高ぶらせて実行を決意。第1次東禅寺事件より1年後,その同じ日を期すかのように単身東禅寺に斬り込み,藩邸にて自刃。23歳。死体は外国人の検分ののち小塚原の刑場に送られた。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤軍兵衛」の解説

伊藤軍兵衛 いとう-ぐんべえ

1840-1862 幕末の尊攘(そんじょう)運動家
天保(てんぽう)11年11月生まれ。信濃(しなの)(長野県)松本藩士。文久2年5月29日江戸高輪(たかなわ)東禅寺のイギリス仮公使館を警備中,イギリス人水兵2名を殺害(第2次東禅寺事件)。同年6月1日松本藩邸で自害した。23歳。名は祐英。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の伊藤軍兵衛の言及

【東禅寺事件】より

…このためイギリスは水兵を上陸させて公使館を直接警備し,翌年幕府は賠償金1万ドルを支払って事件はひとまず落着した(第1次東禅寺事件)。しかし62年6月26日(文久2年5月29日)夜,イギリス水兵とともに公使館の警備にあたっていた幕府・諸藩兵の一人,松本藩士伊藤軍兵衛が公使襲撃をめざして館内に侵入し,これを発見した水兵2人を殺害して自分も自殺した。このためイギリスはさらに警備水兵を増強し,これにひきつづいた生麦事件ともからんで交渉は難航,翌年幕府が賠償金1万ポンド(約4万ドル)を支払ってやっと解決した(第2次東禅寺事件)。…

※「伊藤軍兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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