日本歴史地名大系 「会地関跡」の解説 会地関跡おうちのせきあと 長野県:下伊那郡阿智村駒場村会地関跡[現在地名]阿智村大字駒場 木戸脇古代東山道に置かれた関所で和銅年間(七〇八―七一五)に設置されたと推測される(下伊那史)。駒場(こまば)の村はずれ、急傾斜地の中腹を斜めに切り通した旧三州往還のだらだら坂を上りきると木戸脇(きどわき)の街村に出る。坂の下の地字は坂(さか)、上は逢地(おうち)の坂、これを合わせて大品坂(おおしなざか)と称する。天正六年(一五七八)二月の上諏訪造宮帳に北関郷・南関郷・中関郷がみえ、信州伊奈青表紙之縄帳に中関(なかぜき)村・向関(むこうぜき)村があり、近くの水田地帯を関田(せきだ)とよんでいる。これらはいずれも古代における関の存在を暗示させる地名である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by