日本の城がわかる事典 「住吉城」の解説 すみよしじょう【住吉城】 神奈川県逗子市にあった平山城(ひらやまじろ)。築城時期は不明だが、鎌倉防衛のための拠点として築かれたのではないかと推定されている。1510年(永正7)、越後守護代の長尾為景(上杉謙信の父)が関東管領の山内上杉顕定と対立した際に、小田原城(小田原市)の北条早雲(宗瑞、伊勢盛時)は為景に味方して山内・扇谷両上杉氏に挙兵し、この城に籠城した。早雲はこの戦いで両上杉氏に大敗北を喫し、以後、相模の地盤を固めて両上杉氏に対抗するため、当時、相模の最大勢力だった三浦氏攻略に的を絞ったともいわれる。このころ、住吉城は三浦氏当主の義同(よしあつ)(道寸)の城になっていた。早雲は古河公方と関東管領の山内上杉氏の対立に乗じて、義同の居城の岡崎城(平塚市~伊勢原市)を攻略。義同・義意父子は住吉城に逃れて立て籠もったが攻略され、さらに、三浦父子は新井城(三浦市)、三崎城(三浦市)に退いて抵抗したが、早雲は両城を落として三浦氏を滅亡させ、相模一国を平定した。その後の住吉城の記録はないが、間もなく廃城になったと考えられている。現在、同城の郭跡が残っており、郭跡には住吉神社が建っている。JR横須賀線逗子駅からバス。または同駅から徒歩約30分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報